当ブログ「東京散歩人に与ふる書」について
はじめまして。ぐっさんです。
この度はふとした思いたちで、当ブログ「東京散歩人に与ふる書」を開設するに至りました。
人生で初めてブログを書くので、地方から出てきて初めてスクランブル交差点のど真ん中に立った時のような右も左もわからない状況極まりないのですが、まず
①私は誰なのか
②なぜこのブログを開設するにいたったのか
③どんなブログにしていくつもりなのか
の3点ぐらいを示しておかないと、スクランブル交差点からマークシティにも出られないような窮境のまんまなのでつらつらと書いてまいりますね。お付き合いください。
では参りましょう。
①私、ぐっさんとは何者か
2015年4月に東北の大地から大都会に意気揚々と繰り出してから早3年と幾許か、現在大学4年生の人間の男です。
駿〇予備校仙〇校での1年間の短期留学(俗に浪人と呼ばれる)を経験した際に、二次試験に社会科目が必須だったこともあり、日本史の魅力にドはまりしました。特に好きだったのは、1920年代から、戦後恐慌をトリガーに日本が徐々に経済的に苦しくなり、それと連動するように軍事政権が台頭し始める一連の過程でした。
そんなこんなあって日本史好きが高じ、留学(浪人)期間には寺内町であった名残がある予備校周辺をちゃりでフラフラしては南無南無してくるということに明け暮れておりました。
その結果見事志望校に敗れたものの念願の東京進出を果たした私は、上京当初は泉岳寺が一人暮らし先から徒歩圏内にあることなどにすさまじい感動を覚えるなどし、頂いた御朱印を部屋でおっぴろげては不敵にほほ笑むなどの奇行を繰り返してまいりました。
しかし、学生生活は主に体育会系のサークルに捧げていたため、3年間で見事に日本史への関心が薄れ、知識はその辺の石ころにも劣るレベルの下等生物と化してしまい、今に至ります。
趣味は、フットサル、サッカー、寺巡り、散歩です。
②なぜこのブログを開設するにいたったのか
(書いてから思いましたが、長くなります。)
私事ですが、この間京都旅行に行ってまいりまして。
私のような歴史好き、散歩好きにとって、京都っていわば「散歩と妄想の聖地」なわけですね。
例えば。西本願寺周辺を例にとってみましょう。
あなたが今、西本願寺の壮大な総門を背にして立っているとします。
(あらかじめ写真を撮っていなかったため、ストリートビューのURLをはめ込んでいるのですが、とべるのがパソコン限定のようです、すみません。次からは写真撮ります。)
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ここですね。
少しまっすぐ行くと、右手にいやに近代的な建築物が見えてきて少しびっくりします。
これは「西本願寺伝道院」。なんでも、明治25年(1912年)の創建で、信徒向けの保険会社が使っていたものが転用を繰り返され、今も本願寺の研究施設として使用されているそうです。
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これを設計したのが「伊東忠太」。日本の近代建築の巨匠です。
そして、彼のお師匠さんは、受験日本史でも頻出項目、日銀本店、東京駅を設計し、国会議事堂の設計の審査員をしている途中に亡くなった「辰野金吾」。
彼が設計した建築物は京都にいくつか現存しますが、その中の一つに「みずほ銀行京都中央支店」があります。(現存するものは2003年に改装されたレプリカなのですが。)
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そしてそして、みずほ銀行グループの総合商社といえば、かの有名な「伊藤忠商事株式会社」。
ここで何か繋がりませんか?
何も関係ないんですよね!!!
いやぁ、面白いですね。そもそもイトウの「トウ」の字が東と藤で違いますしね。もっと言えば、伝道院は竹中組(現在の竹中工務店)、みずほ銀行京都中央支店は、旧第一勧銀の京都支店として作られたものであり、清水組(現在の清水建設)が施工したものです。
しかしよくもまぁ、たった100m歩いただけで、これだけの妄想ができてしまいました。ちなみに、伝道院の曲がり角を左に曲がって少し行くと、新選組が活躍した(というのはいささか不正確ですが)事件として有名な「天満屋騒動」の天満屋の跡地があります。
そしてさらにまっすぐ行った当たりの地名を「学林町」といいますが、この地名の由来は、本願寺派の発展と龍谷大学設立の源泉と関わっていたりするわけです。
つまり、京都は、これだけ狭い範囲に歴史的所以のあるポイントが偏在していて、その一つ一つに語りつくせないほどの価値があるということです。
このように妄想をたくましくして京の町を歩くと、
「京都に住んでる奴ら、羨ましいなぁあ」
と思っちゃったりしながら我が愛しき妄想の京都を歩いてままならないわけです。
しかし、ここで突如として私の意識は東京に飛びます。
「あれ、これ東京でもできるんじゃね??」
そう考えるきっかけとなったのが、数か月前の忌まわしき記憶、日本特有の雇用形態であるメンバーシップ型雇用の弊害、日本社会に生きる者にとって避けては通れない悪魔の通過儀礼、「就活」でした。
就職活動の一環で、私は日比谷のとあるオフィスビルを訪れたわけです。
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ここ実は、日本人なら小学生でも知っている超有名な施設の跡地なんですけど、わかりますか?
「鹿鳴館」です。
えっ、あの?1880年代半ば、不平等条約改正のために外相井上馨が主導して極端な欧化政策に走ったあの時代の日本を象徴する存在の、あの?
とは言わないまでも、サルが欧米風の衣装を着ているようなものだと当時の日本の欧化政策を批判した、ビゴーの風刺画は誰しもが見たことがあるのではないでしょうか。
そして、この鹿鳴館跡地の隣には「帝国ホテル」があります。帝国ホテルは1890年に落成なので鹿鳴館時代とは若干ずれますが、この建設にもやはり井上馨が絡んでいたようですね。この時代の日本の国際状況がこれだけでも浮かび上がってきそうです。
ちなみに、このホテルの建設には、明治~昭和初期の日本の経済界を象徴する存在といても過言ではない化け物「渋沢栄一」も一枚噛んでおります。
彼もまぁ、就活中によく聞く名前でして、とある鉄道会社だったり、とある銀行だったり、とある保険会社だったりでまぁ、この人の名前を聞くわけで、そもそもこの人は…?
などと考えるうちに、先ほどの、
あれ、これ東京でもできるじゃん
むしろ明治維新以後ならこっちのほうが面白いことできるんじゃねえか
と思いました。
全国転勤となる職に勤めることになる(なってしまった)僕にとって、東京という立地の有利性は近い将来高確率で失うことになる重要なメリットです。
暇さえあれば寝てしまう僕が、残り少ない合法的モラトリアムを充実して過ごすには、ただ遊ぶだけではなく、
コスパとか損得勘定抜きにして、楽しくて、なおかつ頑張れそうなことをやるのが一番だと思いました。
以上がこのブログを開設した理由です。
③どんなブログにしていくつもりなのか
最後になりました。長くてすみません。
以上のような経緯で開設したブログなので、あくまで僕の個人的な趣味としてやっていくブログにします。「これ明日から使える!」みたいな情報を発信していくつもりは毛頭ありません。
だけど、
「この道、昔はこんなところだったのか」
「うちのオフィスの近く、教科書に載ってるあの有名人にゆかりがあるのか」
と、もともと日本史が好きな人、散歩好きな人はもちろん、
日本史なんて寝てたよ
って人や
散歩なんて時間の無駄でしょ
なんて人が、
「日本史って面白いな」
と思ったり、
「ちょっと実物を見てみたいな」
と思えるような、
そしてそんな些細な人生の彩を共有できるような、
そういうブログにしていきたいと思います。
そんな願いを込めて、タイトルは正岡子規の「歌詠みに与ふる書」からとりました。
もし仮に、さっきの京都と鹿鳴館のくだりが面白いと思ってくれた、そんな変態なあなたがいたら、特にこれからも読んでいただきたい。
てなわけで、
もしかしたらだれも読んでくれる人はいない
かもしれないけど、とりあえず楽しくやっていこうと思います。
よろしくお願いします。
あと、ブログが初めてなので、何かお気づきの点があれば遠慮なくご指摘ください。
次からはもっと短くします。
2018.12.12